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書評「川本裕子の時間管理革命 世界で一番大切な「自分コスト」の使い方」 川本裕子著 

川本裕子の時間管理革命川本裕子の時間管理革命
(2005/07/29)
川本 裕子

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書評「川本裕子の時間管理革命 世界で一番大切な「自分コスト」の使い方」 川本裕子著 東洋経済新報社 1200円(税別)

最も参考になったのは、「問題は「出口」から考える」、つまり達成した状況からどのように問題解決に至ることができるかを考える、という点でした。私の場合は、職業柄か、あまりそのように思考することがないので、特に新鮮でした。

いえ、そうではなくて、医者という職業柄「出口」に当たる部分があまりに大きいのです。すなわち、「疾患の解消」か慢性期であれば「疾患の軽症化」が求められる点です。これがいったいどのようなことを指示しているのか、個々それぞれを考えなくてはいけないのですが、私の場合はいつも経験則で直感だったのです。

つまり、思考していなかった、というわけです。それを補うために、私は論文を読んだり、成書や教科書にあたるわけです。

これまでこのように自分の行動ですら、出口が分かっておらず、行動の根拠が見えていなかったのでした。そうなると、私の特性ですが、論文を読んだり、成書や教科書に当たる行動自体が目的になってしまい、もともとが手段であることが見えなくなり、自分の行動が袋小路に入ってしまうという状況でした。

袋小路に入り込まない、入り込んでも戻れるために「出口から考える」が私にとってはいい、そう思えます。

それは私のように慢性期の疾患を診療している医者にとっては、「何が目の前のこの人にとっての「出口」なのか」と思考する必要性もある、そう思えます。医療に限界があり、人は不老不死ではおられず、その中途で何らかの障害がおこるのですから、そのときになにを「出口」つまり、優先順位を決定して、問題解決に当たるか、これが重要になるかと思えました。

ビジネス書、もしくは自己啓発書かもしれませんが、医療の問題点を突くことも可能な本でした。

書評「エンジョイしなけりゃ意味ないね」 朝倉かすみ著

エンジョイしなけりゃ意味ないねエンジョイしなけりゃ意味ないね
(2008/11)
朝倉 かすみ

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書評「エンジョイしなけりゃ意味ないね」 朝倉かすみ著 幻冬舎 1400円(税別)

大人になるとは、あいまいさに耐えられるようになるということ。この本についてこうして書いているときに、不意にこの一文が浮かんだ。

この短編集で私が気に入っているのは、まさしくタイトルナンバーの「エンジョイしなけりゃ意味ないね」だ。40歳代女性で2人の子どもを持つ主人公。銀行にパートとして働き、「資格を取れば時給が上がる」ともくろんでいる。

実はこの書評と実際にこの本を読了した時期にはかなりのタイムラグがある。私にしては長い。だいたい3カ月。かなり長いような気がする。通常の私であれば、書評は読了後一気に仕上げる。なのにこの短編集は違った。違ったので、書評作成の際にも「いつもと違った」という感覚があって、もっというと、内容とあっているのか、この考えは、と冒頭の一文に自分で突っ込みを入れた。

でも、そういうものじゃないのだった。他の著者の時にそうなるのかどうか、それはわからない。でも、朝倉かすみさんのこの作品に関しては、なぜか「あっていた」。

「エンジョイしなけりゃ意味ないね」の中に、主人公が手堅く生きて行こうとする20歳代の同じ銀行に勤める融資セクションの女性と昼休みに話をして、その日の帰宅時にママチャリを漕ぎながら思ったことが次のことなのだ。

「先がすっかり見えるほうが辛いと思うんだけどなあ、と、つつけて思う」。

あいまいとは、私の言いたい「あいまいさ」とは、先が見えなくて今の決断はあくまでも暫定案でしかないというものだ。そしてその事態に耐えられる。これが大人になるということだろうと思うのだ。

子どもは、少なくとも子どもの頃の私は(今がすっかり大人かどうかはさておき)、暫定案には耐えられなかった。永遠がほしかった。いわく、「永遠の愛」、「永遠の思い」、その他。

でも、もう気がついてしまった。「永遠」の方が辛い。つらいかどうかは個人差があるだろうけれども、少なくとも「永遠」はない。

そして、もう一つ気がついてしまった。暫定案を重ねて、変更を重ねて生きていくことが、人生の味の一つであるということに。

この本は、その味のひとつをみせてくれた。

書評「ロコモーション」 朝倉かすみ著 

ロコモーションロコモーション
(2009/01/21)
朝倉 かすみ

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書評「ロコモーション」 朝倉かすみ著 光文社 1500円(税別)

読後、説教したくなった。誰に、ということを考えた。

主人公には別にしたくない。説教しなくても、もう十分わかっているのだから。

主人公と私は同じ世代だ。1960年代に私も生まれた。たった3年でここまで違うのか、という人生になってしまっている。3年彼女が年上だ。つまり、バブル時代(1980年代後半)には主人公は20歳を超えていた。大人だったのだ。一人暮らしをし、働いていた。私はしがない受験生で、医学部受験のために浪人していた。これがおそらく、私と彼女を分けた分水嶺だろう。

つまり、私は20歳未満だった。まだ親の庇護下にあり、親の、古いけれども主人公も私も納得できてしまう価値観のもとに私はいられたのだ。

ただ、主人公が持っていて私が持っていないものがあった。「いいからだ」だ。「美しい」ということだろうと思う。おそらくバブル当時に私が主人公に出会っていたら、そのことを妬ましく、腹立たしく思っていたのに違いない。自分がそれを持っていたらどんなに人生を謳歌できただろうかとそればかり妄想していたのに違いない。

ただ、それを持っている主人公にとっては、ただの邪魔者にすぎなかった。それがあるがために主人公は全くと言っていいくらい、彼女らしい人生を送ることができなかったのだから。

彼女らしい人生って、なんだろうか。私らしい人生って、なんだろうか。

「らしい」と意識できないのが、「らしい」のではないだろうか。逆説的かもしれないけど。

もしくは、Aというすばらしいものを得ようと思っていたのに、気がついたら手にしていたのはBというもので、がっかりしたかもしれないけど、よく考えたらAよりも自分はBがいいと思っていたのだ、と自覚した時、「らしい」のではないかと思う。

「ロコモーション」は最終章でこのことがどんな意味を持っているのか、示してくれる。いや、示してくれているように見えるだけかもしれない。

そして、Bはもともと自分が持っていたものと重なる。つまり、自分はBを探していたのではなくて、Bを持っていたことに気がついて行くのだ。生きていくとは、人生とはそういうものかもしれない。主人公の「スキ」とは、まさしくそれだ。

私の場合、説教は最後は説教ではなくなってしまうのだが、誰に説教したいのかもわからなくなってしまって、自分に言いたいことを相手に言ってしまうときがある。

私は運命に説教したかったのだろう。主人公に、このような人生を与えた運命に。でも結局自分に、説教と言うか、納得するようなことを言っていることになってしまった。

そのことに気づかせてくれた本がこの、「ロコモーション」だ。

医学部お勉強;いまむかし

解き方がわかるCBT実践問題集〈2〉医学一般、基本事項、医学・医療と社会―今日からはじめよう!解き方がわかるCBT実践問題集〈2〉医学一般、基本事項、医学・医療と社会―今日からはじめよう!
(2009/09)
小川 元之

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「解き方がわかるCBT実践問題集 2 医学一般,基本事項,医学・医療と社会 今日からはじめよう!」(小川元之著、メジカルビュー社)を見ていると、医学部4年生くらいの時にこのような問題集があったら、私もさぞかし勉強ができたに違いない、と思ったからだ。この本は要するに医学部4年生までの習得度試験(全国)に対する全国的な対策本なのだ。私の学生当時の「試験対策ノート」と大きく異なるのは、著者の小川元之さんが北里大学の准教授だという点だろう。

私の学生時代当時は部活ごとに、担当教員ごとに「試験対策」ノートが出回っているくらいだった。大学前にはコピー専門店があり、どこかの学年が試験になると混みっぱなしで、まったく使えなかった。それでも当時としてはその店のコピー機に画期的なソート機能があって、私としてはその機能が大好きだったので、その店に行きたかった。

まあ、この時点で手段と目的が入れ替わったりする可能性を秘めているんだけど。そのうちにそのノートをコピーするだけで勉強した気になってしまうし。発達障害があるので、仕方ないといえばそうなんだけど・・・。

最初の問題のページを読んで、がっくりとしてしまう。すっかり忘れている。ほとんど解けない。

仕方ないので、これで勉強するかあと思う。それしかない。

そう考えると、今の研修医の先生方はかなりの試験を超えてきているわけだ。しかも私などの時代と違って全国区の相当きつい試験を超えてきている。というわけで知識は私を凌駕しているわけだ。

そうなると、自分は外来を訪れてくれる人たちに何を提供できるだろうか?知識は難しいとすれば(特に基本的な知識がないんだな、これが)、病院は怖くないというか、相談もできるよ、というような、そういうスタンスだろう。なぜなら発達障害が少なからずある私にとって、病院は怖かった。おそらく、当時非常に怖かった父親とダブったからだろうと思うが、怖いところだった。好きではなかった。嫌な思い出が多いし。

私が自分自身を開示することで、知識ではなくて、ある程度のなにか(安心感や、自己免疫をひきだすための精神的な安定)を提供するということが、私の「売り」なのかもしれない。

まあ、それには知識もないとね。

朝倉かすみさんのこと

 最近、作家朝倉かすみさんに、

 ・・・と書いて、この後が思いつかないくらい、「やられた」という気がしてしまっている。

 新刊を観ると、吸い寄せられるように買ってしまう。http://d.hatena.ne.jp/ASAKURA/のブログも読んでしまう。

 「作家の読書道」(WEB本の雑誌)を読んで、最終頁の身体感覚について読んでいるうちに、早朝のせいか、はたまた今聴いている音楽が昔好きでしょうがなかった曲のせいか、くらくらして、しびれてきた。頭の芯がゆがむ、というか・・・。

 このページだけでも読む価値を出してしまう、朝倉かすみさんのすごさを実感してほしい・・・。